血圧の話その3(大動脈解離になったので) 『高血圧の9割は「脚」で下がる!』

『高血圧の9割は「脚」で下がる!』
石原結寶 2016年7月1日 第2刷

石原先生は、人参・りんごジュースで有名な人です。自然治癒力系統の人で、私も昔から好きな先生です。石原先生の断食クリニックは有名で、そのクリニックは、保守の論壇をひっぱっていた上智大学渡部昇一先生もファンでした。

 


この本の石原先生の高血圧についての結論はどうか、

1.高血圧が長く続くと、血管が傷つき、それがもとで重要臓器に障害が生じる恐れがある。
   ↓
2.しかし、すべての高血圧には血圧が高くなっている理由がある。その理由を無視して降圧剤で血圧だけ下げようとすると、かえって体に障害が出ることがある。
    ↓
3.そのため、降圧剤で無理に下げるのではなく、その原因にアプローチできるような対策をとらなければならない。

 

やはり、薬で高血圧を下げることが目的でなく、その奥にある原因こそを問題にすべきというスタンスだと思います。現在の私の考えに強引に寄せた理解かもしれませんが。

 

そして、次にそのためには、どうすべきかと具体的な方法が書いてあります。それは、他の先生と共通する方法もありますが、特徴的なのは本の題名になっているように、脚を鍛えることです。脚ですね。

 


まず、この本の冒頭には(たぶん編集者の戦略だろうが)脚を鍛えて血圧を下げた例が出ています。

・60代国会議員、210/120→140/90 体重9kg減
毎日少しずつ歩き、室内でも「横歩き」と「後ろ歩き」をやった。
   
・50代男性 160/95→130/75 体重6kg減
元々スポーツマン→週2回、2〜3㎞のスロージョキングを再開

・50代女性 160/86→120/70 体重6kg減
週3回スポーツジムで脚の筋力増強をした。毎日10種類の薬をやめることができた。


・70代女性 200/100→140/80
スポーツジムで運動をすると気持ちが良くなり、血圧も下がる。


・70代男性 180/110→130/80 体重5kg減
今まで朝の散歩と徒歩通勤をやめた高血圧になり水もたまった。しかし、毎日1万歩〜1万5000歩を歩くようにした。

 

冒頭に、このような例が出ていて私に希望をもたせます。読者は、これをまず見たいので、たぶん優秀な編集者の構成案だと思います。

 

脚を鍛えるのは、ウォーキングですが、

石原先生は、ウォーキングの効果を次のように言います。

①下半身の筋肉を発達させて、下肢の動脈のバイパスや毛細血管を増やす。

②ふくらはぎの機能を強化して、血管や心臓の働きを助ける。

③プロスタグランジンやタウリン等の降圧物資を増やす。

④血管の内皮細胞からの「NO」(一酸化窒素)など、血管を柔らかくする(動脈硬化を防ぐ)物資の分泌を防ぐ。

⑤腎血流量をよくすることで、腎機能を高めて尿の量を多くして余分な水分や余分な塩分の排出をうながす。

私の場合は、大動脈解離の再発防止のためなので、④が直接にぴったりです。この場合、血圧が下がるのは、むしろ結果で、目的は血管疾患の予防です。その他の場合も血圧は指標であって、健康はその奥の原因が大事ではないか。

 

つまり問題は血圧か、血管か

④に関しても、よく考えると、石原先生は「高血圧学会の140/90以上というの高血圧の人の割合は、30歳以上で、男51.7%、女39.7%であった」「国民の約半分が高血圧であるということになる」という趣旨のことを書いています。

 

人口の半分以上が高血圧なのに、しかも高齢者ならもっと高血圧の割合は高いのに、私のように大動脈解離になる人は少数です。

 

だから、本当の問題は、血圧ではなく、血管ではなかろうか?

それは、議論や陰謀論になるかもしれないので、さておき、この本で血圧を下げる方法は、次のようなものです。

・食べ過ぎないこと(他の先生も言っている)

・減塩よりも半断食が効く(朝食軽視は「血圧を下げる最強の方法」の渡辺先生とは逆。ニンジン・リンゴジュースで有名な石原先生らしいですね)

 

・醤油は動脈硬化を防ぐ(醤油を目の敵にする前記の渡辺先生とは逆。また多くの先生方とは真逆ですね)。

 

その他に、エビ・カニ・タマネギ・魚・納豆・ミカン・ゴマなどが動脈硬化に有効ということです。

自然療法好きの石原先生らしい特徴がありますね。

 

 

それに加え、薬で血圧を下げることの害の例をいくつか述べています。(しかし、急に服薬を止めることはムチャは禁物とも言っています)

例えば
「1980年に実施された厚生省「循環器疾患基礎調査」では、その後14年間追跡調査が行われた。その結果、上が119〜180、下が69〜110のいずれの血圧の人も、降圧剤を飲んでいる人の方が自立度が低かった。また、降圧剤を飲んで、上が119〜180の正常血圧をた保っていた人は、降圧剤を飲まずに160〜179の人たちより、自立度が低かった」

「茨木県の調査でも、160/95以上の高血圧でありながら降圧剤を飲んでいない人は、降圧剤を服用して140/90未満の正常血圧にコントロールしている人より、あらゆる病気で死亡する全死亡率も、ガン死亡率も低かった」

というと、降圧剤の服用を考えさせられますね。

 

しかし、私の場合は、大動脈解離の防止です。
この本の結論は、薬で血圧を下げるより脚を鍛えろ、でした。

次の本を読みたいと思います。

血圧の話その2 (大動脈解離になったので) 『血圧を下げる最強の方法』  

血圧の話その2

『血圧を下げる最強の方法』 渡辺尚彦 2018年8月5日第1刷

著者の渡辺尚彦は東京女子医科大学教授です。
渡辺先生は、24時間365日、自分の血圧を測り続けているというマニアックな先生です。

 

この本の特徴は、渡辺先生ご本人が24時間ご自分の血圧を測り続け、実際の実証的な内容を書いていることです。その点は好感を持てます。しかし、内容は血圧を下げる方法に特化しています。

しかし、大動脈解離の本当の原因、つまりそれに関して、私の知りたいこと、つまり「血圧は薬で下げた方がいいのか」について詳しいことは、この本には書かれていませんでした。

一か所だけ、
「高血圧が身体に悪い影響を与えるのは、血圧上昇による高い圧力を受けて血管がダメージを受けるからです」29p
と一般的で簡単な記述だけでした。

 

でも、これだと、低血圧の場合も血行が悪くなるからと、全く同じように言えます。個人的には、血圧を薬で下げた人の方が長生きできるか、などの統計的な事実が欲しいところでした。

 

 

しかし、渡辺先生は24時間365日、30年以上、ご自分の血圧を測り続けることで、血圧を下げる実際的で根拠のある方法をたくさん書いています。

 

それらがこの本の白眉です。例示します。

・毎日、皮付ピーナッツを20粒食べると血圧が8下がります。

・毎日15mlのお酢を一杯のむと血圧が3下がります。

・1日3回合谷を押すと血圧が4下がります。

・和朝食は血圧を上げ、フルーツグラノーラは血圧を下げる

・ぶどうジュース、甘酒、お酢ギャバ茶、杜仲茶

・おやつを食べるならチョコレート

イカ・タコ・納豆

・そばよりステーキ

・ぬるめのお湯で長湯

・サウナと水風呂は自殺行為

・冷たい飲み物の一気飲みはいけない

・ふくらはぎをたたいて血流をよくする

・ピーナツ型テニスボール指圧

 

 

渡辺先生は、これらは全て実際の根拠があるのを確認したことだそうです。

・食事関係や塩は、ポリフェノールとかの抗酸化やコレステロール抑制などで動脈硬化の改善や予防に関係するようです。要するに血管や血液の問題のようです。

 

・合谷やふくらはぎやテニスボールの指圧は毛色が変わっていて注目しました。体を柔らかくするということか?

それとも、それが血管のやわらかさ、動脈硬化の改善に関係するのか。

渡辺教授は自分の体で確認したことや根拠があることしか言わないので、このへんにも、血圧の秘密があるのではないか。

 

・サウナと水風呂や冷たい飲み物の一気飲みがいけないのは、血圧の乱高下はよくないということでしょうか。

 

具体的で実際に役にたつ話でした。
しかし、私の個人的な疑問の解消にはなりませんでした。その点は、別の本も読んでみたいと思います。

血圧の話その1 (大動脈解離になったので) 『血圧心配性ですよ!』松本光正

血圧の話 その1

「血圧心配性ですよ!」松本光正 2009年9月18日 第3刷発行

実は私は、この前、2週間ほど入院しました。それで、最高血圧が150くらいあったので100くらいに薬で下げられています。今も血圧の薬を飲んでいます。血圧について調べたいと思います。

この『血圧心配性ですよ!』という本は、薬で血圧を下げることに否定的な本です。著者の松本光正は、おおみや診療所の医師です。

 

 

この本の核心

この本の主張の核心を抜きだすと、下の①②になると思います。

①体はいつも一番いい血圧を選んでいる。
②高血圧イコール脳卒中ではない。


①について

著者の松本先生は次のように言っています。

「歳を取れば血管も劣化します。若い時のように弾力のあるしなやかな血管ではではなくなります。そして血液は硬くなった血管の中を流れ、栄養や酸素を送り、また硬くなった血管を通って戻ってきます。そこで体は『血圧をあげる』という作戦をとっているのです」

 

「よく、年齢に90を足したものが、その人の血圧だというでしょう。50歳の人なら140、60歳なら150、70歳なら160」

血圧は年齢によって違うのか。年齢別に考えなければならないのか。それとも若返りを目指すべきなのか。

「たとえば、70歳くらいになって動脈硬化がおこったら、血圧180ぐらいの力がないと頭の隅々まで血液が流れません。それを薬を飲んで血圧をさげたらどうなりますか」

そう言われるとその通りだと思います。私の場合、150の血圧が必要だから、それが今の私にとって一番いい血圧だから。そうなっているのですね。

しかし、血圧が高いと脳梗塞心筋梗塞になってしまうのではないか。突然に脳梗塞心筋梗塞になるのは、最も避けたいことです。

 


②について

む著者は次のように言っています。

「日本人の死因は
ガン33%
心臓病16%
脳血管障害(脳卒中)15%」


脳卒中の内訳は
脳梗塞84%
脳出血13%
クモ膜下出血3%」

脳梗塞は血管が詰まる状態なんです。血管が詰まったら、体はどんな防衛策をとると思いますか」

「そこで体は血流の圧力を一生懸命高める。圧力を高めてそのゴミを吹き飛ばそうとする・・・この状態が高血圧の状態です」

「血圧は上げておかなければならないのです。しかし世間では、血圧が高いと、薬をたくさん飲ませ、血圧を下げます。そこで脳梗塞が多くなるというわけです」

というのが本当なら、血圧は下げない方がいいのではないか?

しかし、私の場合は、大動脈解離です。それなら、血管が破れての出血だから、血圧は低くしなければいけないのではないか。

松本先生も次のように言っています。

「中には血圧を下げた方がいい場合もありますよ。たとえば血圧が高くて脳出血のおそれがある場合などです。大動脈が破れる解離性大動脈瘤、一部の心不全心筋梗塞、腎疾患などはその典型でしょう」

ということは、私の場合は大動脈解離で、つまり出血の方だから、

私の場合、血圧をさげる多くのマイナスを覚悟して、血圧を下げなければいけないのか。しかし、そういう話なら、問題は血圧でなく血管にあるのではないか。つまり問題は動脈硬化にあるのできないのか。

医学というものは、わりにはっきりしないものなんですね。次回は、別の本を読んで、疑問の答えをみつけていきたいと思います。

 

 

臨床で松本先生が患者に言いたいこと

 それはさておき、この本の最後は、自然に血圧を下げる方法を列挙しています。小見出しだけ幾つかあげてみます。

「『笑い』は最高の治療薬」
「感動すること、感謝すること」
「太ったままで薬を飲む矛盾」
「腹八分目に医者いらず」
「楽しいことにお金を使おう」

高橋淳を読む 2回目 『淳さんのおおぞら人生 俺流』

人生を楽しむ生き方

高橋淳 『淳さんのおおぞら人生 俺流』
2008年8月25日 初版

この本は先に紹介した、『95歳、余裕綽々 世界最高齢パイロットの人生操縦術』という本のの10年前に出た本です。

この本には「航空界の至宝 85歳、現役パイロットが語る 空への尽きぬ情熱と飛行機たちへの愛」という副題がついています。

『95歳・・・』の本の10年前ですから、この本の発刊時は、確かに85歳の現役パイロットですね。そして『95歳・・・』の本は、この本が元になっています。

ただ、この本の後ろ半分は、高橋さんが操縦した飛行機の紹介になっています。そのため、この本は飛行機マニア向けの性質もあります。そして、その飛行機の紹介が実に楽しそうなんですよ。

日本人はいい意味で、真面目で深刻な人が多いと思うのです。しかし、高橋さんは旧職業軍人パイロットで死線をさまよった人なのに、そういうところがありません。

高橋さんは、明るく率直で人生を楽しむ人です。

例えば、彼は、日本の敗戦後、空を飛べなくなった時にデパートに勤めていたのですが、

「このデパートは店員のほとんどが女の子で、60〜70人ぐらいはいたね。・・・後楽園のスケート場を借り切ってみんなでスケートをやったり、ダンスパーティを開いたり。海の近くに空き家を見つけて、そこをデパート専用の『海の家』にして女の子を呼んだりもした。戦時中と比べたら、そりゃ天国みたいなもんだった。優雅だったよ」

という具合です。

しかし、単に高橋さんが、全くいい加減な人だったら、パイロットとして長くやれなかったはずです。

そして、彼は空の仕事に戻ってからも、仕事を楽しんでいます。自作機のテスト飛行などは、高橋さんの他にやる人がいなかったそうです。

この本でも、それらの自作飛行機を写真付きで楽しそうに解説しています。

「大工さんが作った飛行機というのがこれだ。・・・牧野式HMO-235って名前で、牧野敏夫さんって人がつくったのだけど、235はフミコさんって奥さんの名前だそうだ。・・・ところがケツが重いせいで、いくら滑走してもケツがあがらないじゃないか。・・・2-3日して直してきて・・・見たら、おしりを30cmくらい削っただけなんだよ。そりゃ、2-3日でできるよな。それで写真のようにケツが浮いて、めでたく初飛行となったね」

「これが大工さんの紹介でテストすることになったそば屋さん、澤野四郎さん製作のS25Xミスタースムーシーって名前の飛行機だ。フォルクスワーゲンの35馬力のエンジンを最初は積んでいたけれど、複座になって同じワーゲンの53馬力エンジンに取り替えてたな」

別の肥後盛文さんという大工さんの作った全木製の飛行機は、木製プロペラが長すぎてテスト飛行の時に回転があがらなかった。その時に肥後さんはどうしたか?

高橋さんは言う「いきなりのこぎりを取り出してプロペラ切り始めたじゃないか。たまげたね、あの時は」

他にも、高橋さんは、天野さんというコンビニのオーナーが10年かけてコツコツ作ったアマノ式A-1という飛行機とかもテストしています。

もちろん高橋さんは、普通のメーカーの飛行機は何十機も乗っています。

高橋さんは過去に乗った飛行機の紹介を、女性にたとえて楽しそうです。その見出しだけ、いくつか紹介します。

「PA34セネカは足弱娘だ」
「けっこうパワフルな大ざっぱ娘 ステンソンL・5センチネル」
「タフなマウンテン・レディ、ロッキード・アスカルテ」
「質素で非力も声だけだかいフランス娘、モランソルニエMS・880ラリクラブ」
「そっぽ向いて走れる。ヘリオ・クーリエ395」
「偏屈娘は冥途のお供! レーク・パッカニア」「着地でぐする快速娘、ムーニー・シリーズ」
「洗練されたフランス娘、ソカタ・シリーズ」
チェコの優等生美女、プラニタL13」

等々です。言い方もお洒落だし、読むと楽しそうです。

「最高齢プロフェツショナルの教え」と言う本が15人の高齢のプロフェツショナルの人を紹介しています。実はその中に、高橋さんも入っています。

しかし、こちらの本での高橋さんの発言は「出撃前に『危なそうだ』なんていうやつは生還できない」とか「最近は万年平社員みたいなヤツが多い」などの見出しです。若い人へのアドバイスや心構えを説く内容なので、高橋さんの特質が出ていないように思います。

やはり、高橋さんの特徴は、率直さと人生を楽しむことではないでしょうか。彼は、好きなこと(適性のあること)を楽しんだ人が成功するという方向の実証者です。どうせなら、その方がいいし。実は本当は、その方が無理が少ないのかもしれないと思うのです。

しめくくりのひとこと

「俺はまだまだ飛び続けるつもりでいる。次は飛行場で会おうぜ」

 

 

高橋淳を読む 1回目 『95歳、余裕綽々 世界最高齢パイロットの人生操縦術』

1つの生き方

2018年3月25日初版『95歳、余裕綽々』高橋淳 

著者の高橋淳は、95歳の現役パイロットです。この本で、彼の生き方の流儀を覗いてみたいと思います。流儀というと固い言葉ですが、センスやスタイルと言う言葉の方が彼にはあうかもしれません。

 

彼は戦争中は海軍のパイロットでした。

「トラック島から飛び立って、雷撃と爆撃を1回ずつやった。40機ぐらいあった我が732部隊も、2、3機を残して全部やられちまった。・・・結局、732部隊は解散」

「沖縄攻撃を始めて3か月後の昭和20年(1945年)7月。そのときにはもう、僕の機体以外は1機も残っていなかった。転勤した乗員を除いてあとは全員、戦死だ」

生き残った彼は、戦後に色々な仕事をして、結局、また、空の仕事に戻ります。

戦争中は特攻隊に指名されたり、極限の体験を重ねてきた高橋さんですが、普通、そこから予測されるだろう性格には陰や厳しさの色合いが出るように思います。しかし、彼のスタイルは全く違うのです。

例えば、

・女性と飛行機の扱いは一緒

やっぱり人生一度きりだから、何事も楽しいのが一番だね。そんな性格の僕だから、とにかく厄介ごとが嫌いでね。仮に身近で揉めごとが起きたとしても、必要以上に首をつっこんだりはしない」

「ただ、僕は人より年をくっているし、人当たりも柔らかいほうだから、いろんな人から相談をされることはある。そういうときは、相手の話をよく聞いてやるに限るね。とくに相手が女性の場合はそう。考えてみりゃ、女性の扱い方ってのは、飛行機の操縦に通じるもんがあるな。天候はコロコロ変わるし、機種によって性格も異なる。・・・それぞれ扱い方を間違ったら痛い目にあう。・・・乱暴な操縦はご法度で・・・聞き上手に徹して・・・」

女性と飛行機は一緒という比喩を持ってくるところなど、高橋さんらしくて面白いのです。

 

 

また、

「家には、現役最年長パイロットであるというギネスの認定証のほか、厚生労働大臣国際航空連盟からもらった赤十字飛行隊のボランティア活動に対する表彰状もあるけど、そういったものは部屋には飾らない。すべて押入れの中にしまってあるよ」

これも高橋さんのスタイルですね。古い日本家屋などで鴨居におじいさんの表彰状などが飾ってあるのは微笑ましいのですが。高橋さんは、自慢したいとか威張りたいという気持ちがない人ですね。それと、「インタビューや取材も家では受け付けない」なので、仕事(飛行機)と家庭は分けるスタイルなのでしょうね。

 

・居丈高に振る舞って得することはない

「現役最年長パイロットだからといって、偉そうに踏ん反り返っていたら・・・相手が年下だろうがなんだろうが、自分から率先して挨拶をするのさ。
『やあ、こんにちは』と笑顔でね。そうすりゃあ自然と会話も弾んでいくもんだ。
居丈高に振る舞って得することなんて何もありゃしない。第一、僕は自分のことを偉い人間だなんて思っちゃいないんだ」

 

高橋さんの性格は良い意味で外人みたいなところがあると思います。日本人はメンツやタテマエにこだわる人がわりに多いのですが、彼にはそれがないのです。反面、戦死した戦友をずっと思うというような良い意味での日本人的なウェットさもないようです。

・健康について

「健康のために意識していることといえば、さっき言った胸を張って歩くこと以外だと、『食事は腹八分目』『睡眠は毎日8時間程度』は取るってことぐらいだね。・・・ここ何十年、満腹になるまで食べた記憶がない」

・お金について

「裕福であろうが貧しかろうが、見栄を張らないのが一番だ。人前でいい格好をしたがる奴は長持ちしない。90年生きてきた僕が言うんだから間違いないよ」

 


・入れ歯だけはいいものを使おう。

「かく言う僕だが、実は若い頃から、ほぼ『総入れ歯』なんだ(笑)。戦時に入れ歯になっちまったの。・・・今から40年くらい前だったかな。『飛行機の練習をしたい』という歯医者に出会ったのさ。・・・値段を聞いてぶったまげたね。全部で150万円だって言うんだ。・・・数十万円で済んだけど、その彼が作ってくれた入れ歯が、40年経った今もこうして活躍中なんだ
・・・歯がいいと、毎日の食事が楽しいし、長生きしたくなるもんだ。」

20歳の初めに総入れ歯でも。95歳まで元気に生きれるということと、入れ歯には金を惜しむなというアドバイスですね。

変わった話

高橋さんは、無理をせず、とても率直で実際的なタイプです。こういう性格もいいと思うのです。

しかし、個人主義で率直で実際的な高橋さんですが、その高橋さんが一つだけ変わったことを言っています。

「これは戦争中の話だけど、自分の能力以上のことは、『頭の後ろにいるもう1人の僕』が何かを指図してくれているような感覚を何度か感じたことがある。・・・『あっちから弾が飛んできたら、こっちへ避けろ』と、後ろから指図をしてくれていたような気がするんだ」

 

おわりに

95歳現役パイロットということは、65歳で定年になっても、まだ30年もあるということです。これは、私には希望になります。

 

高橋さんは「おわりに」で最後に、次のように言います。

「寝ている最中に夢を見ることがよくあります。それは楽しい夢ばかり。仲間と飛行機に乗って空を飛んでいる夢もたまにみます。でも不思議なことにね戦争中の夢は見たことがない。・・・一度きりの人生です。誰かをこらしめるためでなく、誰かを喜ばせるために生きてみませんか 2018年3月 高橋 淳」

上原正吉『商売は戦い』を読む 第4回 「奉公人根性を去れ」

上原正吉 著『商売は戦い』118P奉公人根性を去れ

この『商売は戦い』は、わりに正直に書いているので、面白いのです。今回は、この本の118Pの「奉公人根性を去れ」を考えます。

 

奉公人根性とは

ここは、実は意外に難しい内容があるのですが、まず、彼の文章を引用します。

「"叱られないように気をつける" "叱られないように仕事をする" これが唾棄すべき奉公人根性なのである」

「"ウンと働いて、または、良いことをして、良い案をたてて、認めてもらおう" という心がけが、卑劣下等な奉公人根性なのである。これに気がつかねばならぬ」

意外な内容だし、彼の言葉もなぜか激烈ですね。

これは社員が経営者の言うことを聞かずに、自分の考えで、それぞれ独自に勝手なことをしろという意味ではないのです。なぜなら、上原は、企業経営は多数決でなく、独裁の方がいいと言っているくらいですし。

また、彼が経営者の心構えを説いた部分でもないのです。彼は社員の心構えを説いたのです。なぜなら、上原は次のようにも言っているからです。

「"奉公人根性を去れ" これは私が、社内で古参の一人に数えられるようになってから、たえず、叫びつづけて来たことばである。特に大阪に赴任してからは、いかにして社員の心持から奉公人根性を除去しようかと苦心さんたんした」

なぜ彼はこう言うか。それは、奉公人根性を持つ社員が少なくて、逆に彼の言う主人根性を持つ社員が多いほどその事業は興隆する、と彼は考えているからです。

この奉公人根性は、上に迎合し下に威張るという形に表れるなら分かりやすいものです。また「社員のなかでも、お天気ものは許せるが、影日向のあるものは許せない、という理由が判明する」という彼の説明も分かりやすいです。

しかし、「"𠮟られまい"と心がければ奉公人根性であるが、"よい仕事をしよう"と心がければ主人根性となる」とその根本の動機にいくと、内心のことなので分かりにくくなります。

しかし、内心のことであっても、上原はこう言います。

「かく述べる私自身が、これではならぬと自戒しながらも、常に自身のなかに巣くう奉公人根性に悩まされつづけたのである。みなさんは、今日ただいまから、自分の心の中に滞在する奉公人根性を根こそぎ刈りとって欲しいと思う」

奉公人根性と言うと、明治や昭和の初め頃のことのようで、自分に関係ないと思うかもしれません。しかし、サラリーマン根性とか公務員気質と言っても同じです。

 

他人の評価で生きる

特に近年は、学校生活が長くなっていますから、つい先生の評価や"うけ"を第一に考えてしまう気質が子供の頃からしみつく面もあると思います。さらに、多くの人は長い学校生活の後で、勤め人の生活に入るわけです。そのためサラリーマン気質が心底、身につきやすいかもしれません。

 

 

ただ、この問題を、もし、つきつめて考えていくと、自分の主人は自分かどうかとか、社会組織と個人の関係や哲学や宗教の部分に入り込みます。難しくなります。

 

奉公人根性の点検

しかし、上原のように単純な視点で、自分の中の奉公人根性の点検を心がけるだけで、自分の心の進歩と幸福に役立つかもしれません。常に点検すれば、自分を取り戻す一助になるかもしれません。

上原正吉『商売は戦い』を読む 第3回 「寝ろと言っても寝ない」

昭和39年7月7日初版『商売は戦い』上原正吉 著
 

上原正吉は、総合薬品メーカーの大正製薬を作った人です。彼の著書の『商売は戦い』を読む、その3回目です。

 

寝ろと言っても寝ない

この本は、わりに正直に書いているので面白いのです。この本の70Pに「寝ろと言っても寝ない」という小見出しがあります。

長くなりますが、その文章を引用します。

「毎日の勤めは、飯を食うための仕方ない苦役で、休日だけが待ちかねた自分の時間、楽しい一日だとしたら、この人は人生の七分の六を牢獄で暮らすわけで、なんと悲惨な人生よ、と言わざるをえない」

「反対に、毎日の仕事がおもしろくて楽しくてしかたない、日曜でも、ぐずぐず寝てなどはおられない、といって仕事をはじめるようならば、その人の人生は、なんと豊かな、しあわせなものよ、ということになろう」

これは、リポビタンDのようなドリンク剤が流行った時代、すなわち昭和の高度成長期のモーレツサラリーマンや経営者の考えですね。

その具体的な状況を上原は次のように言っています。

「終業後、ひっそりと電灯をつけて、会議をしている組が、毎晩、必ず何ヵ所かにある。・・・戦いそのものが楽しみなのである。・・・寝ろ!というのだが、きかない」

 

ソニーの土井利忠の場合

例えば、かつてのソニーで、CDやアイボを開発した土井氏などは、開発時の技術者集団について「集団発狂か集団パラノイヤ」などと言いながら、「数か月の間、昼も夜もない生活を続けていた・・・無茶苦茶に働いていたのに誰も倒れなかった」などと、それを肯定的に語っています(「運命の法則」20P)。当時のソニーでは、会社の上層部に隠して、個人が勝手に開発や実験をしていたこともあったようです。

 

しかし注意その1 ブラック企業には注意

しかし、このような「やりがい・生きがい・個人の成長」を悪用するブラック企業があることも確かです。私は良く知らないのですが、営業力に特化した体育会系の会社の場合とかは、特に注意する必要があるように思います。

 

毎日の勤めは、飯を食うための仕方ない苦役で、休日だけが待ちかねた自分の時間、楽しい一日だとしたら、この人は人生の七分の六を牢獄で暮らすわけで、なんと悲惨な人生よ、と言わざるをえない

ただ、上原の上記の「牢獄のたとえ」には時代を超えた真理があるのも確かだと思います。今は兵役もなく刑務所にも行かなくていいのに、大半の時間を苦役で暮らすのは、もったいないことだし幸せでもない、と私も思います。

もちろん、この問題は年齢や性別や状況や人生観や健康や家族などによって千差万別です。一つの物差しで単純に計れません。仕事があるだけで感謝すべき場合もあると思います。

 

まず「仕事を好きになるように一生懸命やってみる」

しかし、上原が、「私は、このしあわせを、身近の社員諸君に分かち与えようと努力しているのである」という言葉は嘘はないと思います。上原のおせっかいかもしれませんが。

そして上原なら、まず「仕事を好きになるように一生懸命やってみる」ことを勧めるでしょう。それが、上原の実感でしょう。

 

しかし、注意点その2 仕事に対する違和感は大事に

しかし、すべての人間が、上原の時代の大正製薬という会社に合うとは限りません。つまり、上原の想定している外の世界や人もいます。だから、もし、心の中に今の仕事に対する違和感が存在するなら、仕事を早めに変える方がいいのかもしれません。その場合は、上原も賛成するでしょう。

なるほど、ある程度の能力があれば、違和感をごまかして、表面上はなんとなく楽しくやっていくことも可能でしょう。しかし、それは本人も周囲も幸せにしません。上原の言う「仕事がおもしろい、仕事が好き」は、生きがい・やりがいでもあり、天命や使命感に微かにでもつながるのが、王道だからです。それが、幸せの道につながると思います。

つまり上原の論理は、上原の元に自然に集まってきている「社員諸君」を想定してのものだからです。

上原が、「私は、このしあわせを、身近の社員諸君に分かち与えようと努力しているのである」というのは、上原が自分の周囲の人のしあわせを考えての言葉です。しかし、上原の想定外の人々もいるはずです。当時の大正製薬やサラリーマンニに合わない人々もいるはずです。つまり、周囲にいない人々や別の道に進むべき人もいるはずです。

しかし、とにかく、短い人生の多くの時間が、上原の言う「牢獄」であるなら、もったいないです。個人の内面の問題ですが、なにせ人生は短いのですから。基本は今の仕事を好きになることです。

もう一度上原の言葉を繰り返し引用します。

「毎日の勤めは、飯を食うための仕方ない苦役で、休日だけが待ちかねた自分の時間、楽しい一日だとしたら、この人は人生の七分の六を牢獄で暮らすわけで、なんと悲惨な人生よ、と言わざるをえない」

「反対に、毎日の仕事がおもしろくて楽しくてしかたない、日曜でも、ぐずぐず寝てなどはおられない、といって仕事をはじめるようならば、その人の人生は、なんと豊かな、しあわせなものよ、ということになろう」