上原正吉『商売は戦い』を読む 第2回 「かわいがれば好きになる」

昭和39年7月7日初版『商売は戦い』上原正吉 著
 

上原正吉は、大正製薬を作った人です。彼の書いた『商売は戦い』を読む、その2回目。


この本は、『商売は戦い』という俗っぽい題名ですが、わりに正直に書いているので面白いのですよ。

 

かわいがれば好きになる

この本の77Pに「かわいがれば好きになる」という小見出しがあります。そこで彼は、こう言っています。


「犬や猫が、どんなに嫌いな人でも、必死の努力でかわいがっていれば、必ず、だんだんかわいくなり、ほんとにむ好きになってくる。これは、私が経験ずみである」と。

この『これは、私が経験ずみである』という言葉が面白いです。こういう卑近なことを彼自ら実際に実験しているということが。

私なりに、「犬・猫の可愛い問題」を考えてみると。確かに、世間には犬や猫が好きな人たちも多んいます。そし彼らは犬や猫は可愛いと言います。しかし、それは実は違うかもしれません。犬や猫が可愛いのではなく、彼らが犬や猫が可愛いという「気持ち」を持っているから、かもしれません。

なぜなら、犬や猫が、ぞっとするほど嫌いだという人も多いのです。そして、その彼らがみな異常人物かというと、そうではないのです。そう考えると、これは犬や猫の問題ではないのではないか。むしろ、可愛いという人の「気持ち」の問題でしょう。外でなく内側の思いにあるのです。

例えば、極端な場合、自分の産んだ赤ちゃんでさえも、可愛いと思えないと、自分には母性がないのだろうかと悩む人も偶にいます。しかし、たいていは可愛がってると可愛くなるものです。

 

しあわせな人生とは、愛されるより愛するということだと思う

余談になりましたが、さらに上原は次のように言います。

「ところで、人間のしあわせとは、どんなものか。私は、なんでも一生懸命愛することだと思う。たとえば、金魚や花を育てるとする。一生懸命、可愛がって育てていると、それに報いてくれなくても、こちらがだんだんしあわせになってくる。・・・しあわせな人生とは、愛されるより愛するということだと思う」

 

 

「しあわせな人生とは、愛されるより愛するということだと思う」「人間のしあわせとは、なんでも一生懸命愛することだと思う」と彼は結論づけます。そして彼は続けて、

「かわいくもないものをかわいがる、ということは、容易にできることではない。しかし、それができないと、自分の人生が不幸になる。自分の人生を幸福なものにするためには、自分の周囲の"あらゆるもの"を必死でかわいがらなければならないのである」

最後に、彼は言います。

「相手が人間でも、商売でも、仕事でも、まったく同じことである。会社や商売や仕事が、かわいくて好きでたまらなくなったら、人生これ以上のしあわせはないだろう」と。

 

 

引用が長くなりましたが、最後は、実業人の上原正吉らしい"落ち"になりました。

個人的には、好きでない犬猫を必死の努力でかわいがって、自分の考えを実証した、というのが彼らしくて面白く感じます。空理空論でなく、人間とは、そんなものかと納得できます。

 

上原正吉の実験、

上原の実験をもう一度、提示します。

「どんなに犬・猫の嫌いな人でも、真剣にかわいがっていれば、だんだんと、ほんとに好きになる、という私の経験から・・・」(113P 「大好きになった野菜」)

 

結論として、上原の悟りは意外と深いと思えのです。

・愛されるよりも愛することが幸福だ。

・可愛がれば、可愛くなる。

 

 

上原正吉『商売は戦い』を読む。第1回 「私は幸運な男」 

昭和39年7月7日初版『商売は戦い』
上原正吉 

「商売は戦い」を読む、第一回目

大正製薬という会社をご存じでしょうか?
ビオフェルミン」や「リポビタンD」や「パブロン」などの名前を知っている人はいると思います。2023年の連結売上高は3000億円くらいです。

上原正吉は大正時代にできた大正製薬所(彼の入社当時は社員7名)を、戦後に総合薬品会社にしました。しかし、大正製薬創業家の一部からは、上原家が大正製薬を乗っ取ったと思われている可能性もあります。ヤマハ(山葉虎楠がオルガン製造のために作った)にとっての、川上家と同じようなパターンですね。

本題に入りますが、この、上原正吉の『商売は戦い』という本は、わりに正直に書いているので参考になります。やはり、正直は大事です。正直でなければ、読んだり聞いたりする価値はありませんから。


〇私は幸運な男

この本の第1章の最初に『私は幸運な男』という見出しがあります。一番最初ということは、まず第一に、本人の言いたいことなんだと思います。

彼は会社に対しても、次のように言っています。『私も家内もセガレも、幹部諸侯も、つねづね言っている。「大正製薬くらい運のいい会社はないぞ」ーと』

大正製薬の今日あるのは、ただ単に運がよいだけだということを、まず最初に述べておきたい』

これは、努力や考えが不要ということでなく、「自分は運がいい、だから自分の会社も運がいい」という勝手な信念なんですね。主観なんです。

 

高橋是清の場合

例えば、戦前に高橋是清(戦前の大蔵大臣で日本を不況から救った人)という人がいました。彼は子供の頃のできごとから、自分は幸運な男だと勝手に信じていたのです。だから、米国留学中に騙されて奴隷に売られても、帰国後にペルー銀山事件で無一文になっても、落ち込まずに乗り切れた面があります。もっとも彼は暗殺されますから、客観的に彼が幸運だったか、どうかは分かりませんが。

 

松下幸之助の場合


また、例えば、松下幸之助は、若い頃に、渡し船に乗っていて河に落ちたことがあります。不注意な船頭がよろけて河に落ちそうになって、とっさに近くにいた幸之助の腕をつかんでしまい、二人とも河に落ちてしまったのです。ところが、幸之助は、その時のことを「命が助かってよかった。運が良かった」と書いています。

 

斎藤一人の場合

斎藤一人は昭和の時代に、たびたび納税日本一になった人です。斎藤一人は乗物に乗り遅れた場合や、車を運転して出かける時に何かのトラブルで出発が遅れた場合、彼は「これは神様の時間調整だ」と言います。どういう意味かというと、もし時間どおりに出発できていたら、事故や不都合にあっていたかもしれないという意味です。いわば、思い込みの技法ですね。

 

今この瞬間の思い

要するに、態度なんですね。日常の思いです。自分は幸運な男なんだという。そして、こういう態度でいれば、幸運をつかむことが多いと・・・。もちろん、努力や対策が不要ということではありません。

例えば、たいていの人は事故や病気で、入退院を経験するはずです。そして退院した時に「ああ、災難だった。運が悪かった」と思うか。それとも「命が助かって良かった。これで学べたし、生き方を変えることができた。運が良かった」と考えるか。この場合も、意図的に「運が良かった」と周囲に言ったり、そう考えようとする方が、いいかもしれないのです。