上原正吉 著『商売は戦い』118P奉公人根性を去れ
この『商売は戦い』は、わりに正直に書いているので、面白いのです。今回は、この本の118Pの「奉公人根性を去れ」を考えます。
奉公人根性とは
ここは、実は意外に難しい内容があるのですが、まず、彼の文章を引用します。
「"叱られないように気をつける" "叱られないように仕事をする" これが唾棄すべき奉公人根性なのである」
「"ウンと働いて、または、良いことをして、良い案をたてて、認めてもらおう" という心がけが、卑劣下等な奉公人根性なのである。これに気がつかねばならぬ」
意外な内容だし、彼の言葉もなぜか激烈ですね。
これは社員が経営者の言うことを聞かずに、自分の考えで、それぞれ独自に勝手なことをしろという意味ではないのです。なぜなら、上原は、企業経営は多数決でなく、独裁の方がいいと言っているくらいですし。
また、彼が経営者の心構えを説いた部分でもないのです。彼は社員の心構えを説いたのです。なぜなら、上原は次のようにも言っているからです。
「"奉公人根性を去れ" これは私が、社内で古参の一人に数えられるようになってから、たえず、叫びつづけて来たことばである。特に大阪に赴任してからは、いかにして社員の心持から奉公人根性を除去しようかと苦心さんたんした」
なぜ彼はこう言うか。それは、奉公人根性を持つ社員が少なくて、逆に彼の言う主人根性を持つ社員が多いほどその事業は興隆する、と彼は考えているからです。
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この奉公人根性は、上に迎合し下に威張るという形に表れるなら分かりやすいものです。また「社員のなかでも、お天気ものは許せるが、影日向のあるものは許せない、という理由が判明する」という彼の説明も分かりやすいです。
しかし、「"𠮟られまい"と心がければ奉公人根性であるが、"よい仕事をしよう"と心がければ主人根性となる」とその根本の動機にいくと、内心のことなので分かりにくくなります。
しかし、内心のことであっても、上原はこう言います。
「かく述べる私自身が、これではならぬと自戒しながらも、常に自身のなかに巣くう奉公人根性に悩まされつづけたのである。みなさんは、今日ただいまから、自分の心の中に滞在する奉公人根性を根こそぎ刈りとって欲しいと思う」
奉公人根性と言うと、明治や昭和の初め頃のことのようで、自分に関係ないと思うかもしれません。しかし、サラリーマン根性とか公務員気質と言っても同じです。
他人の評価で生きる
特に近年は、学校生活が長くなっていますから、つい先生の評価や"うけ"を第一に考えてしまう気質が子供の頃からしみつく面もあると思います。さらに、多くの人は長い学校生活の後で、勤め人の生活に入るわけです。そのためサラリーマン気質が心底、身につきやすいかもしれません。
ただ、この問題を、もし、つきつめて考えていくと、自分の主人は自分かどうかとか、社会組織と個人の関係や哲学や宗教の部分に入り込みます。難しくなります。
奉公人根性の点検
しかし、上原のように単純な視点で、自分の中の奉公人根性の点検を心がけるだけで、自分の心の進歩と幸福に役立つかもしれません。常に点検すれば、自分を取り戻す一助になるかもしれません。