中洞正さんの『幸せな牛からおいしい牛乳』から引用します。
『乳脂肪分の濃さを容器に大きく表示し、「3・5牛乳」「3・6牛乳」「3・7牛乳」と濃さを競うようになった。以後、現在に至るまで、濃い牛乳がおいしい牛乳であり、濃さが牛乳の最大の価値であるかのような風潮が続いている。その流れを受けて八七年、全農が乳業メーカーと合意のうえで独自の基準として、乳脂肪3・5%以上の生乳の生産を組合員である酪農家に押し付けたのである。以後、3・5%以下の生乳は買い取り価格を半値にされ・・・』
『自然な飼い方をする放牧酪農家の場合、四季の変化によって乳脂肪分が変わり、3・5%以下にもなる・・・。そのため、低乳価に苦しめられ。舎飼いの工業的酪農に移行するか、経営を放棄するかの岐路に立たされた。こうして、日本中の酪農家はこぞって牛舎で密飼いするようになる』
『青い生草が牛の主食だったはずなのに、草を食べさせれば「水分が多いから牛乳が薄くなる」と言われた。また、放牧すると「運動によってエネルギーが消耗する」と言われた。こうして、人工的に製造された配合飼料と舎飼いが急激に普及していく。・・・いまや・・・む放牧の比率はわずか二%にすぎない。・・・70年代前半までは、北海道の酪農は放牧が主流だった。