足立育郎『波動の法則 実践体験報告書』

足立育郎『波動の法則 実践体験報告書』から引用します。
今井博樹 編著となっています。この本は。今井さんが足立さんから聞いた話をまとめて、それを足立さんが校正したようです。

『例えば本屋さんに行って、新しい本を買おうとするときに、内容を見てから本を選ぶのではなくて、内容を見ずに直感で、その本が自分に今適切かどうか、必要かどうかという、それを観じればいいんです』

『あるいは何かを求めようとするときに、パンフレットの説明文を読む前に、このパンフレットの振動波、どんな振動波かな、どのくらい信頼できるかなという感覚で体験する必要があります。「自然の仕組み」に適って調和がとれていれば、自分流に観じる状態、たとえば、すごく気持ちがよく清々しいとか、何か温かいものを観じるとか、快適な何かを観じるとかがあります。観てしまうと顕在意識で影響を受け始めますから、最初は、読まないでそれを体験する。・・・最終的に顕在意識で判断しても、最初のその体験は、どんな仕事でも、誰でも絶対できます。』

『文房具屋さんに行って、文房具を買う時でも、それからスーパーに行って、果物を買うのでも、野菜を選ぶのでも、要するに、買い物に行って選ぶときに、直感で選ぶ。・・・仮に半分、腐っているものを選んだとします。・・・それは、そのときの自分にそれが必要なのです。・・・買い物に行った内容、種類まで変えてしまうのです。それは、今の私にとってそれが必要です、というものを知らせてくれているのです。・・・失敗ではないのに失敗したと思った状態とか、本当に失敗したとかあるわけです。でも、それを繰り返していくと、そういう小さなことは、直観の体験の自信につながるのです。それを日常で繰り返さないと、大きな決断はできないのです。』

工藤房美 『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』

工藤房美さかの『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』から引用します。

 

『この髪の毛一本一本も私の身体の一部。そう思うとどうしても捨てることができません。一本一本の髪の毛に、これまで私の髪の毛でいてくれたお礼を言ってから捨てることにしました』

『絶対に一本も逃さないようにかき集めて、全部に「ありがとう」と言いました。毎日毎日それをやっても終わりません。一ヵ月もない命なのですから、これでは時間が足りない』

『少々焦り始めたころ、いつもは遅くまで起きている家族が、みんな一斉に早々に寝てくれた日がありました。今夜は誰にも邪魔されずに集中して髪の毛に「ありがとう」と言える。そう思って、張り切って洗面所に行き、新聞紙を広げました。毎日拾い集めた髪の毛を取り出し、一本一本に心をこめてお礼を言う作業をしていたのです。

「ありがとう。ありがとう。私の髪の毛でいてくれてありがとう」はっきり数えていたわけではありませんが、数時間その作業を続け、数万回はありがとうを言った頃でしょうか。不思議なことが起こりました』

『一本の髪の毛を取り、「今まで私の髪でいてくれてありがとう」と言うと、「ありがたい気持ち」が降ってくるのです。また「ありがとう」と言ったら、また「ありがたい気持ち」が降ってくる。言えば言うほど、ありがたい気持ちが降って来て、まるで雪のように、私の心に、ふんわり積るのです。「ありがとう」と発すると、「ありがたい気持ち」が心の中に降り積もっていく。心の中にたくたんたくさん「ありがたい気持ち」が積り積もって、終いには、心いっぱいに降り積もって溢れだしてしまったのです。「・・いい気持ち」これまでに経験したことがないほど心が満たされていました。自分がガンだということも、一ヵ月もない命だということも、髪の毛がないことも、そんかなことが、一切どうでもいい些細なことのように思えました。ただただ「ありがたい気持ち」がいっぱい溢れ出して、嬉しくて、ありがたくて、仕方がないのです』

 

『「ありがたい気持ち」に包まれた私は最高に幸せでした。これまで味わったことのない幸福感です。嬉しくて嬉しくて、ありがたくてありがたくて、時間を忘れて無我夢中でその感動の中にいました。涙が後から後からとめどなく流れてきます』

ギャッチ郁子 こだわりの話 『魂の実践』

ギャッチ郁子さんの『魂の実践』から、こだわりの話を引用します。


『あるずるい人がいました。あなたはそのずるい人にこだわり続けます。その先入観があるのであなたは、その人は「ずるい人」としかみられまん。その人と話すたびにあなたは「本当にこの人はずるくて嫌だな」ってそこに嫌いが加わりました。「ずるい人」にこだわっていると、あなたは色眼鏡を掛けなければその人を見ることができません。ずるい人を「もういいや~。ずるい人ならそれでいいや~」とこだわりをなくすことによって大分楽になると思います』 

『出来事に対してあるがままー、そのまま受け入れます。ここには感情を入れません。「ずるい人」をそのまま、そう受け入れます。そう「あの人、ずるい人なんだ」って、これでおしまい。「ずるくて、嫌いだな~」は入れません。そのままを受け入れたら、次はそこらこだわらないことが大切です。いいじゃないですか、その人ずるくたって。私にだって嫌なところは沢山あるしー』

『大事なことは、次にその人と接する時に、そのことに「こだわらない」ことです。次に接した時に、まだ「この人はずるい人だな」って思ったら、それをその時点であるがまま(そのまま)に受け入れればいいんです。でも、こだわらないので、その人をそのまま受け入れられます。・・・こうやっていくと、そのうちに「もうどうでもむいいや」となります。あの人はずるいけど、そけがなんなんだ!って。そうなんです。いいんですよ。ずるい人もいて。何事もこだわるのはやめましょう。こだわっているから、そこの場所から動けないのです。手放して別のところにいきましょう』

『それから、自分のこだわりを捨てるのが大変な人は、まずこの話で書いたような言動や行動をする人を思い出すか、接するかしてみてください。自分自身のことは見えないけど、相手のことはよ~く見えるでしょう?このまさに自分のことは棚にあげて、をやってみてください。そして実は、自分もやっていたことに気づいてください』

 

森真由美 ファミリーはなぜ存在するか 『足立育郎と語る』

森真由美 『足立育郎と語る』から引用します。この本は森さんが足立さんに質問をする形の対談の本です。引用した部分は足立さんの言葉です。


『ファミリーはなぜ存在するか』 

 

『足立 基本的にファミリーを持つ理由は何にかというと、要するにファミリーを持つというのは、非常に親しい関係を作って、愛情というスタディを基本的にする。そして愛というスタディを本質的に学ぶためには親しい間柄で利害・損得を越えて、無償の愛ですよね。奉仕をしてしまう。心から理屈抜きでお父さんに対してとか子どもに対して、心から何かのときにサポートをしていく、愛の振動派を送ってしまう。その状態、その体験のためにファミリーがあるというんです。』

 

『・・・そして体験して学んで、だんだん成長することによってむ、その本質の愛をファミリーだけではなくてすべての存在物にそれを還元できるようになっていく。そのステップとしてファミリーが存在しているわけですから、・・・』

ギャッチ郁子 いつも自分の感情を見る 『魂の実践』

ギャッチ郁子さんの『魂の実践』から引用します。


『知識があってもそれを実践しなければダメだ、と強く思うようになっていました。・・・全ては自分の中にずっとあったのに、私が何もしなかっただけだと分かりました。それからの私は、自分の自我と欲を無くす努力を始めました。心が一片の曇りもない状態にしたかったのです。そう決心した時から、いつも自分の感情を見ることにしました。というか、「カアッ」となった時に、「それ来た!」と自分の感情のみを見て感情を出さない。こんなこと言われてムカついたのは、言われた内容ではなく私におこった感情で、それをしっかり見る。つまり、自分にはこんな感情があるということを知るということです。注して見ていないと、出た感情に気がつけません。』

 

『食器を洗っていてお湯が熱すぎた時、「このぉ~」ってなっていました。「熱い、この野郎!」です。そんな時は反応している自分の感情に向き合いました。(向き合うというのは、その感情を自分が出している無駄な感情と素直に受け入れるということです)。


何しろ小さいことから大きいことまで、四六時中取り組み続けました。たまに夢でも実践していました(笑)。これを1年くらい続けた時、精神と肉体に変化が起こったのです。まず食器を洗っていてお湯が熱すぎたのですが「このぉ~」ってならなかったんです。結構自分ではびっくりしました。忘れていたんですね。こんな時にキレていた自分を。そして、今まで自分が嫌いだったり、苦手だった人たちにも「嫌だな」って感じなくなっていました。それどころか、今の自分はホームレスもやっていける、何がきても平気な自分に変わっていました。これは私に起こった本当の出来事ですが、肉体が本当に軽くなったんです。道を歩いているのですが、歩くというよりはふわふわ浮かんでいて、いくらでも歩けるという状態が現実に起きました。気持ちよかったです。』

 

森真由美 できることから実行する『足立育郎と語る』

森真由美さんの『足立育郎と語る』から引用します。

 

この部分は足立さんの発言です。

『足立 ・・・気づいたら、「できることから実行する」。これだけです。できることから実行すると、どうなります。状況が変わるんです。状況が、必ず育ってきますから。そうすると、サポートが明確になるんです。「そういう決心して、そういうふうに実行できることから始めたんなら、じゃあこういうサポートをしましょう。こういう祖ポートします。こういうサポートしますよ」というふうに、サポート側の方法が決まるんです。さころが、気づいているのに実行していないと、サポートのしようがないんです。あともうちょっと深く気づいてもらうために、どうするかなと、そういうふうになってしまうだけなんです』